埋もれていた「越前堀」 限られた手がかりから当時の様子を想像すると、戦国時代の大桑には「大桑城」とともに「城下町」が存在していたことが推定されます。はたしてその通りの姿をしていたのかどうか。これは発掘調査などで明らかにしていく必要があり、まだ分からないことがいっぱいです。ですが平成9年度の調査では谷の中の城下町推定地を守っている堀が確かに存在していたことが明らかになりました。
再び姿を現した「越前堀」 断面図
再び姿を現した堀跡は、絵図の位置関係から「越前堀」に相当すると思われます。堀の幅約5m・深さは2m以上です。残念ながら、土塁の跡や、堀以外の遺構は、後の土地の改変などにより保存されていないのか、見つけることが出来ませんでしたが、相当大規模な工事を行っていたことが確認されました。 平成8年度に実施した「四国堀」の方の試掘調査でも、現在は一部しか残っていない堀跡の延長線上に、かつては確かに堀が存在し、城下町の内側を守っていたことがわかっています。 「四国堀・外堀・越前堀」などの大規模な防御施設が、大桑城下町への敵の侵入を防いでいたことは、まず間違いないものでしょう。 推定されていた大桑城下町の構造が、試掘調査により一部実証される結果となったという意味では、堀跡周辺の調査には大きな意義があったと言えると思います。